囲碁界で将来を期待されながら2025年6月に21歳で急逝した大須賀聖良三段。
SNSでは「どんな学校に通っていたの?」「韓国留学の実態は?」と学歴や幼少期に注目が集まっています。
この記事では中学・高校の学歴情報や張秀英道場での修行、囲碁一家ならではの子供時代の逸話を整理し、大須賀聖良の素顔やプロの棋士としてのキャリアのモデルを考察しました。
この記事を読んで分かること
- 大須賀聖良のプロフィール
- 大須賀聖良の出身中学校や高校などの学歴情報
- 大須賀聖良と韓国の関係
- 大須賀聖良の子供時代のエピソード

※アイキャッチ画像は「日本棋院公式ホームページ」より引用
大須賀聖良のwiki風プロフィールと家族構成
ここでは、若くしてプロ棋士として注目を集めた大須賀聖良さんの人物像を整理します。
生い立ちや家族との関係、囲碁との出会い、そして日常の性格や趣味までを通して、大須賀聖良がどのような人生を歩んできたのかを掘り下げるためにプロフィールをwikipedia風で確認していきます。
大須賀聖良のプロフィール
項目 | 内容 |
---|---|
本名(読み方) | 大須賀 聖良(おおすか せいら) |
年齢/生年月日 | 21歳〈2004年1月20日生〉 |
国籍/ルーツ | 日本(埼玉県さいたま市出身) |
学歴 | 中学:埼玉県内公立(推定) 高校:進学せず |
職業/勤務先 | 女流棋士(日本棋院東京本院) |
段位 | 三段〈2025年追贈〉 |
師匠 | 洪清泉四段 |
留学歴 | 張秀英道場(韓国・ソウル) |
主要実績 | 女流本因坊戦・棋聖戦本戦出場 等 |
好きなキャラ | 「アイシナモンロール」など |
大須賀聖良さんは2020年4月、女流特別採用推薦でプロ入り(初段)を果たし、わずか3年後の2023年に二段へ昇段し、2025年の逝去時には追贈により三段に昇進しています。
若くしてプロ棋士になった大須賀聖良さんですが、ここまで強い理由は囲碁一家で生まれ育った背景が考えられます。
大須賀聖良の家族構成
母親:大沢摩耶さん | 囲碁インストラクター |
伯母:大沢奈留美五段 | プロ棋士 |
祖父 | 碁会所の経営者 |
祖母 | 対局に着物を用意するなどサポーター |
まず、母親の大沢摩耶さんはアマチュア囲碁界の実力者で、女流アマチュア選手権を2度制覇しています。

また、伯母の大沢奈留美5段もプロ棋士として活躍し、かつてはタイトル獲得経験もある著名な存在です。

この他にも、聖良さんの祖父は碁会所の経営者として、家庭内でも常に囲碁が身近にある環境を提供しています。
聖良さんは囲碁を始めたきっかけは「祖父が囲碁教室をやっていたから」と回答していることからも重要な役割を担っています。
聖良さんは「小4のころからプロを目指していた」と語っており、入段時に「女流のタイトルを取りたい」「女流棋戦で勝てる棋士になりたい」と抱負を述べています。
また、母と伯母が果たせなかった“プロ棋士になる”という夢を自ら引き継ぎ、「母の代わりにプロになる」という思いも抱いていたと報道されています。
大須賀聖良の学歴は?|出身中学・高校はどこ
15歳でプロになった大須賀聖良さんですが、異例のキャリアからネット上では「どこの中学校出身だった?」「高校はどこ?」と学歴についての疑問が多く見られました。
ここでは、大須賀聖良さんの中学・高校時代に注目し、在籍校や学習環境、進学事情について整理し囲碁との両立のあり方について考察します。
出身中学校について
まず、聖良さんの出身中学校についてですが、結論から言うと、現時点で聖良さんが通っていた中学校名は公開されていませんでした。
聖良さんは小学6年生から中学1年生にかけて、約1年間を韓国の囲碁道場で過ごしていたため、日本の中学校で過ごした時間は限られていたのではないかとも言われていました。
また、囲碁学習の場としては「緑星学園」に通っていたとの情報があり、中学以降も囲碁中心の生活を送っていたことがうかがえます。
出身高校について
次に、聖良さんの出身高校についてですが、高校には進学していないことが報じられています。
現在は高校には行かず「1日10時間ぐらい道場で勉強している」。プロが主宰する張豊猷八段の「今研」、小山空也四段の「空研」、高尾紳路九段、小松英樹九段の研究会にも意欲的に通っている。
出典:「埼玉新聞」(2019年10月5日)より
中学以降、聖良さんは「緑星学園」「洪道場」など複数のエリート囲碁道場に通い、実戦と詰碁、講義を通じて棋力を磨いています。
大須賀聖良と韓国の関係は?|「張秀英道場」への留学時代
大須賀聖良さんの学歴について見ていきましたが、実は小学校から中学1年生まで韓国に囲碁留学をしています。
ここでは、大須賀聖良さんが経験した韓国囲碁留学の内容と、現地で過ごした道場での生活、留学がもたらした成果について考察します。
まず、聖良さんが韓国留学した時期についてですが、聖良さんは小学6年生から中学1年生にかけて約1年間、韓国で囲碁の武者修行を行っていたことが明らかになっています。
留学先は韓国・ソウルにある張秀英道場(チャン・スヨン道場)だと言われています。
張秀英道場とは韓国3大道場の一つで、多くの日本人留学生を受け入れてきた実績があります
韓国は中国と並んで世界の囲碁界をリードしており、韓国の囲碁界は極めて競争が激しく、プロになるための関門も厳格です。
韓国棋院のプロ試験は世界でも最難関とされ、この環境で揉まれることで実力が飛躍的に向上すると言われています。
大須賀聖良さんの年代では森智咲二段も韓国へ囲碁留学していたと言われています。
聖良さんの韓国留学での生活については多くは明かされていませんが、韓国の囲碁道場では、以下のようなスケジュールで一日を過ごすのが一般的です。
韓国囲碁道場での生活の例
午前 | 詰碁演習や講義 |
午後 | 対局練習や研究会 |
夜間 | 自己分析や再対局 |
休日も少なく、「朝から晩まで囲碁を打つ」日々が1年近く続く生活スタイルで、体力と集中力が求められますので、聖良さんもこの過程を乗り越え、技術面はもちろん精神面でも大きな成長を遂げたと見られます。
子供時代エピソード|囲碁との出会いとプロ宣言までの軌跡
では、本格的に囲碁を始めるまでの大須賀聖良さんはどのような子供時代だったのでしょうか。
ここでは、大須賀聖良さんがどのように囲碁と出会い、幼いながらも「プロ棋士を目指す」と決意するまでの過程を辿り、プロ棋士になる人物の幼少期について考察します。
囲碁との出会いは4歳、しかし当初はあまり好きではなかった
大須賀さんが囲碁に初めて触れたのは、4歳の頃に入会した「らんか塾」。囲碁が日常にある家庭で育ち、自然な流れで碁石を握るようになります。
しかし、意外なことに彼女は当初、囲碁に対して積極的な興味を持っていませんでした。
祖父が母に向かって「やる気がなさそうだから、好きな絵をやらせたら」と提案したほどで、実際に聖良さんは絵を描くことが好きな子どもだったそうです。
プロ宣言は小学3年生のある日
転機が訪れたのは小学3年生のある日。
聖良さんがが突然「私、プロになる」と宣言したことが、すべての始まりだったとのこと。
小学4年生から囲碁の名門「洪道場」へ、本格的な修行スタート

プロ宣言を機に、囲碁との向き合い方が大きく変わった大須賀さんは、小学4年生から東京都内の名門「洪道場」へ通い始めます。
最初は週末のみの通学でしたが、やがて平日にも通うようになり、実質的に「囲碁中心の生活」へとシフト。
道場では、詰碁・実戦・対局分析など、プロ棋士を志す子どもたちと共に研鑽を積みました。
聖良さん自身も「小学4年のころからプロになりたいと思っていた」と語っており、早くから目標を定めて突き進む姿勢があったことが分かります。
ここまでが、聖良さんの子供時代のエピソーですが、囲碁関連の他にも次のような性格・エピソードが紹介されていました。
大須賀聖良の性格エピソード
負けず嫌いな一面 | 百人一首やなぞなぞ、パズルなどでも「絶対に負けたくない」と語るなど、対戦型ゲームへの強い集中力と負けん気を見せていた |
可愛いキャラクター好き | YouTubeインタビューでは「アイシナモンロール」が好きと語っていた |
幅広く交友関係を持つことができる | 年齢の離れたプロ棋士・新井満涌さんとは「同い年のような感覚で話せる」と語っていた |
囲碁という枠を外して、1人の人間として捉えても立派であることが分かります。
まとめ|大須賀聖良の学歴と韓国留学を振り返る
この記事では、女流棋士・大須賀聖良さんの学歴や韓国留学、子供時代のエピソード、家族との関係までを多角的に整理・検証してきました。
囲碁一家に生まれながらも、幼少期は囲碁よりも絵に興味を持ち、プロ棋士になるという目標を掲げたのは小学校3年生のときです。
それを機に東京の名門・洪道場での修行を始め、小学6年〜中学1年には韓国「張秀英道場」で本格的な囲碁留学を経験しました。
中学・高校については在籍校名は非公表ですが、「囲碁に専念するために高校進学を見送った」可能性が高く、道場と留学中心の「修行型キャリア」を歩んでいたことが分かりました。
また、母や伯母が果たせなかった夢を自らの意志で継ぎ、囲碁の世界に挑み続けた姿は、単なる「囲碁一家の才能」にとどまらない、意志と努力に裏打ちされた成長があったと言えます。
この記事を読んで分かったこと
- 大須賀聖良は囲碁一家に生まれ、母や伯母も囲碁の実力者だった
- 小学3年でプロを目指すと決意し、小4から名門・洪道場で修行を開始
- 小6〜中1には韓国「張秀英道場」に単身留学し、実戦力を強化
- 出身中学校がどこかは不明だが、地元の埼玉県の公立中学校に通っていた可能性がある
- 高校には進学せず、囲碁に専念した
コメント